[Home] [管理者用] [Back]
予備校・塾関連
- 慶應義塾大学は中津藩藩士の福澤諭吉が藩命により江戸築地鉄砲洲(現在の東京都中央区明石町)の中津藩中屋敷内に1858年(安政5年)に開校した蘭学塾に由来する日本で最も古い起源を持つ大学である[1]。1863年(文久3年)には蘭学塾から英学塾に改め、1868年(慶應4年/明治元年)に、前年に購入した芝新銭座(現在の港区浜松町)の有馬家控屋敷跡に移転し、年号をとって「慶應義塾」と塾名を定めた[2][3]。なお、「義塾」とは英語の「public school」(共立学校)の訳語とされ[2]、このとき、中津藩の家塾から近代私学としての一歩を踏み出した。1871年(明治4年)に、三田(港区三田)の島原藩中屋敷跡地を貸し下げられ(翌年払い下げを受ける。)、現本部所在地に移った。また後に私立大学となる学校の中で最初に授業料を徴収した。 1920年(大正9年)には、大学令による大学として新発足し、文学・経済学・法学・医学の4学部から成る総合大学となり、予科・大学院を付設した。その後も徐々に学部数を増やし、2008年(平成20年)4月に学校法人慶應義塾と学校法人共立薬科大学が合併したことにより、新たに薬学部と薬学研究科を設置して、大学は10学部、大学院は14研究科となった。 第二次世界大戦前には慶應義塾大学は「三田の理財」とも称され、また伝統的に経済学部が有名である。 卒業生には経済人や実業家が多く、医師、政治家(国会議員)も多数輩出する。また、卒業生の同窓会組織である三田会は強い結束を誇る。
- 慶應義塾には、「慶應義塾の目的」という文章が伝わっている。これは、1896年(明治29年)11月1日に、芝・紅葉館で開催された懐旧会(慶應義塾出身者との懇親会)において、福澤諭吉が行った演説を元に、福澤自身が書き直したものである[4]。内容は以下の通り。